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2007年5月 5日 (土)

コマスポより

2005年 1月2日 第34号の記事

駒大で生まれた友情

昇格の壁越えた絆


夕暮れのグラウンドで汗まみれになった部員が
今日もボールを追いかけている。
22年前、この駒大の地で同じようにピッチを駆け回っていた
二人のサッカー部員がいた。

04年11月20日、J2大宮アルディージャが悲願のJ1昇格を決めた。
歓喜の輪の中心にいた三浦俊也監督。
そしてその光景を笑顔で見守っていた佐久間悟強化部長。
この二人であった。

三浦と佐久間は秋田監督(当時はコーチ)の最初の教え子であった。
その下で育った二人は当時のお互いの印象を
「彼のサッカーへの情熱は非常に熱いものがありました」(佐久間)
「彼には主将としてチームへの人間的な優しさを感じました」
(三浦)と懐かしそうに語ってくれました。
卒業後、二人は別々の道に進み、佐久間はNTT関東(現・大宮)
でプレーを続けた一方、三浦は故郷の岩手に戻り、
養護教員として働いていた。
しかし、どうしても指導者という夢が諦めきれず、
単身ドイツに渡った。
「自分の経験や体験だけではキャパシティが拡がらない」と
冷静に自分を見つめ直した決断であった。

時は経ち99年、A級ライセンスを取得し日本に戻っていた
三浦に佐久間から一報が入った。
佐久間は現役を引退した後、大宮でコーチをしていた。
「大宮の監督がオランダ人になる。ヨーロッパのサッカーを知る
三浦に監督と選手のパイプ役になってほしい」と
コーチの要請であった。三浦はすぐに了承し、
ここから二人のJ1昇格への挑戦がはじまった。

この年チームは下位に低迷したものの、その仕事ぶりを
評価した大宮は三浦を翌年の監督に昇格させた。
00年は堅実的な戦いぶりで好成績であったが、
J1には手が届かなかった。
勝負の年として望んだ(臨んだ)01年。
チームの状態やバランスが整い破竹の11連勝と
波に乗り昇格に近づいていった。
しかし、終盤に主力選手の離脱や補強の失敗で
チーム状態は悪化し、まさかの大失速。最終的に5位に沈んだ。
この事を佐久間は
「危機的な状況に立て直しができないという二重の苦しさがあった」
と振り返ってくれた。
三浦はこの結果に責任をとってチームを去っていった。

予想外の再オファー

それから二年間、いまだJ1に見放され続けていた大宮。
04年、解説の職に就いていた三浦に強化部長に就任した
佐久間から再オファーが届いた。
「想像していなかったがやりたい気持ちはあった」と三浦。
その気持ちを理解するように佐久間も
「もう一度、チームをゼロからスタートするためにも三浦を起用した」
と理由を語ってくれた。

三浦は解説時代に学んだ客観的な分析力でチームに三浦イズムを
浸透させた。
佐久間も前回失敗した補強に力を注ぎ、フロントもバックアップし、
チームが一つになった。
苦節6年目にしてついにJ1の切符をてにしたのであった。

佐久間と三浦はお互いの絆について

”信頼”という言葉を残した。

この言葉がすべての根底にあったからこそ、
ここまで成し遂げることができたはずだ。

二人の”信頼”という名で結ばれた絆は
一生ほどけることは無いだろう。

(宮下 邦彦)







あぁ、朝っぱらから疲れた・・・・

以上です、大宮を愛する皆さん。

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